第9回 ブログ版 農業講座「水に稲と書いて水稲(すいとう)という話」

まだまだ朝夕は冬の寒さですが、昼間は随分と過ごしやすくなりましたね。

日ごとに春が近づいてくるのが感じられ、どことなく気持ちも明るくなるようですよね。

真冬の空っ風の中、外に出るのはためらわれますが、気温も上がり、日差しが色を濃くし始めると、お庭仕事や家庭菜園も楽しくなりますね。

では、本日も「農業講座」始まります。

講師は農業の達人、豊嶋和人さんです。

【水に稲と書いて水稲(すいとう)という話】

 

満濃池 護摩壇岩(本人撮影)

 

久しぶりに満濃池をながめに行きました。冬ということもあって水が少ないですね。護摩壇岩まですっかり地続きになって、島という感じがしません。今はかんがい用水の需要期ではないのでこういう景色も余裕を持ってながめることができるのですが、ここ2年ほど比較的雨が少なかったこともあり、需要期にも島と堰堤が地続きになることがしばしばありました。そんな風景を見ると心がざわつきます。わたしは需要期の地続きを小豆島の観光名所にちなんで密かに「地獄のエンジェルロード」と呼んでいますが、もう少しマシな呼び方があったら教えてください。

かんがい用水の需要期は言うまでもなく水田に水が張られている時期、特に6月から9月です。この時期に水がないと困ります。大正生まれのわたしの祖父に聞いた話ですが、旱魃にみまわれて田んぼに入れる水がこないとき、学校から帰ったらやかんに水をくんで稲の一株一株に水を少しずつかけていくのが子どもの頃の仕事だったそうです。想像するだにおそろしい、地獄のようです。

かつてはそんな時代もありましたが、その後の満濃池の嵩上げや香川用水からのかんがい用水の供給開始もあって、孫のわたしがやかんで稲に水をやることはなくなりました。ほんとうにありがたいですね。

さて、小麦、とうもろこし、稲の世界三大穀物の中で、稲は比較的たくさんの水を必要とします。雨量の多いアジアで主に栽培されるのはそのためです。しかし旱魃となれば収量は激減しますから小麦などの水をあまり必要としない作物のほうが有利にも思えます。実際このあたりでも、阿讃山脈の傾斜地では水を溜められないですからもちとうもろこしの栽培が盛んでしたし、うどんの原料となる小麦は丸亀平野で水稲の裏作として昔からよく作られていました。

それでも水稲が主食として作られたのはなぜでしょうか。水をたくさん必要とする水稲の優位点、それは水そのものにありました。田んぼに水を導き、溜め、流すことで、連作障害を回避して毎年稲を作ることができるのです。

その話をする前に、よく耳にする連作障害とはなんぞやっていう話をちょっとだけ。連作障害とは読んで字の如く、連作による障害です。だから連作はよくないですねとなるのですが、連作障害といってもその原因は様々です。その原因さえ特定して取り除いてあげれば連作しても問題なくなりますね。原因は大きく分けて3つあります。

 

 

ではそれぞれの原因について稲の場合を見てみましょう。病害虫のうち稲の害虫については以前にお話しましたが(注1)、これは田んぼの外から飛んでくるので仕方ありません。病害は主に糸状菌(カビ)が原因となりますが、糸状菌は酸素を必要とする好気性のものが多く、湛水によって密度が減少するため、稲が病気にかかりにくくなります。余談ですが糸状菌はpHの低い酸性土壌を好みます。ついこの間、何十年、ひょっとしたら何百年も水稲だけを作付けしていた田んぼのpHを測ってみたところ、だいたい4.2でした。相当な酸性土壌ですが、湛水のおかげで糸状菌が蔓延することはなさそうです。

(注1)第8回 ブログ版  農業講座 参照

稲もじつは根から植物の生育を阻害する物質(アレロパシー物質)を出しています。他の植物との競争に勝つためです。が、そういった物質がたまってくると、自家中毒を起こすことがあります。アスパラガスが典型ですが、耕作放棄地に生えるセイタカアワダチソウにもそういった現象が見られます。稲の場合は水に流してもらえるので連作しても自家中毒にはなりません。

かんがい用水には様々な養分が溶け込んでいます。その量は微量でも、栽培期間中たくさんの水が供給されると結構な量になります。特に、稲にとって重要なケイ酸はかんがい用水から数kg〜数十kgも田んぼに入ります。以前、稲わらや籾殻を戻すだけでずっと無肥料でお米を作っている田んぼを見せてもらったことがあります。谷あいにあって両側の山から養分をたくさん含んだ水がたくさん入ってくる田んぼです。なるほど、と思いました。

ブログ版郷土史講座で連載されている満濃池の歴史をわたしも楽しく読んでいます。度重なる決壊にも負けず池を守ってくれた先人たちの苦労の上にわたしたちの郷土があるんですね。今年もそろそろ米づくりの準備がはじまります。

 

図書館にも稲や米づくりの本はたくさんありますが、わたしが特におすすめしたいのは以下の2冊です。

 

『よくわかるイネの生理と栽培』 農山漁村文化協会編  (6162 ノ)

稲という作物の特性から導き出された先人の栽培法のエッセンスがコンパクトにまとめられています。この本に限らないのですが稲の栽培技術については、この技術は自分の田んぼの風土にも当てはまるかな?と考えながら読むのが大事です。稲は沖縄から北海道まで日本中で栽培されています。例えば東北の5月の田植えとこちらの6月の田植えでは地温水温が全然違いますよね。となると成長速度や肥料の効き方も別物です。おのずと栽培の考え方も変わってきます。気候風土に向きあいながら理屈っぽくというのがポイントでしょうか。

 

『イネの高温障害と対策(登熟不良の仕組みと防ぎ方)』 森田敏著  (6162 モ)

その気候風土も温暖化の波に見舞われています。稲の場合、8月から9月にかけての暑さでうまく熟れずに米粒が白くなってしまう生理障害が近年頻発していますね。悪条件でもちゃんと稲に光合成してもらう様々な工夫のロジカルな説明がまるで謎解きのようで引き込まれます。そういえば満濃池のゆるぬきは10年ほど前までは6月13日でした。それが田植えを遅らせて登熟期の高温障害を少しでも回避するために今の6月15日になったのでしたね。

 

次回は湛水しない畑の話。旱魃に強い「植物」が旱魃に強い「野菜」とは限らないというテーマを取り上げようと思っています。

「水」は、人間だけでなく、すべての生命にとって必要不可欠なもの。

そして農業と水は、切っても切れない関係ですね。

豊嶋さん、ありがとうございました。

 

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第7回 ブログ版 郷土史講座「満濃池シリーズ6」

春一番が吹いたかと思えば、桜の花が驚いて開いてしまうのではないかと思うほどの陽気が続いていますね。

もともと気候が穏やかな香川県でも、長い歴史の中では、地震や干ばつなど様々な災害と戦ってきた過去がありますよね。

本日の郷土史講座は、満濃池と地震のお話です。

片岡さん、よろしくお願いします。

第7回ブログ版 「郷土史講座」 ~満濃池シリ-ズ6~

<嘉永7年・安政元年の地震による満濃池決壊の状況とその対応>

今回は、太郎くんと花子さんが協力して、満濃池の堤が嘉永7年・安政元年、決壊したときの状況や対応が分かる資料①~④と、参考資料を探しました。これについての二人の「対話・問答」です。

 

 

太郎くん:嘉永7年(1854)は、11月27日安政元年に改元しているから、満濃池の決壊年月日を「嘉永7年7月9日」、あるいは「安政元年7月9日」とする場合があるようだね。

花子さん:今年、5月1日に平成31年から令和元年に改元したのと同じね。

花子さん:ところで、資料①からは、どんなことが分かるの?

太郎くん:満濃池が決壊したとき、満濃池から一里(約4km)程の金毘羅の阿波町や金山寺町などは床上浸水となり、五条村や榎井村の往来の人の乳あたりまで水がきたようだ。そして、家は流されその水は丸亀町口(丸亀市の中府町あたり)まで流れて行ったようだね。

花子さん:資料②からは、満濃池の水かさが4合目まで溜まっていた、池尻の池守宅も     流され、死人も出たと書いてあるわね。そして、金刀比羅の鞘橋も流されそうになったみたいね。

太郎くん:資料によっては、当時の満濃池の水かさが1合目、4合目と違うけど、もし満水であった場合はどうなっていたのだろう?

花子さん:被害が想像できないわね。

太郎くん:南海トラフの大地震が何十年か後に起きると云われているけど、万が一今起きたら、堤が決壊するかもしれない。すると、満水の場合、現在の貯水容量は1,540万㎥あり、当時の貯水容量を584.6万㎥(第一次嵩上げ前)とするなら、約3倍になるよね。池が満水のとき、地震で決壊することを想定したら、すごい被害になることが予想されるね。

花子さん:当時、被害があまり少なかったのはどうして?

太郎くん:貯水量が少なかったからかもしれないけど、資料③④から、人的な対応として、樋外の石垣から濁水が流れているのを、池守がいち早く発見したから、連絡・対応が少しでも早くできたのだと思うよ。池守の方は、日ごろから池の状況を見守っている責任感のある方だと思うね。

花子さん:そうね。このことは、今の私たちにも言えることだし、学ぶべきことだわね。

太郎くん:芳澤直起氏は、資料③を提示し、「漏水の発見後、早々に周辺の住民に周知され、警戒できた事により、幾分か対応する時間ができ、被害を最小限に押さえる事ができたとも考えられる」と言われる。確かに、僕もその通りだと思うよ。

花子さん:ところで、この満濃池の決壊の原因はこのときの地震で堤防の地盤が緩んだものなの、あるいは底樋を木樋から石碑に変えた普請工事のずさんさからなの?

太郎くん:先に挙げた芳澤氏によれば、普請工事の工法に問題があり、地震は一つの契機であり、満濃池は万全の状態ではなかったから崩壊したという。(工事の不十分さに関係する資料を掲示した上で)

花子さん:下の絵図①が底樋を木樋から石碑にしたときの、嘉永年間(1848~54)の工事の様子ね。堤中央の底の所が石造りになっているのが分かるわ。そして、堤左手の神野神社前には池御料(御用の旗)の小屋が建ち、反対側の右手には、高松藩や丸亀藩の旗印が見えるわ。堤上にはお役人が立ち、堤下にはとてもたくさんの人が働いているわ。とても多くの人手が必要なのね。

太郎くん:そうだよ。このとき(嘉永5年)の底樋後半部の石樋仕替人夫は、総数376,400人となっている。池普請は農繁期の百姓にとって負担が大きく、「行こうか、まんしょうか、満濃の普請、百姓泣かせの池普請」という里謡が残っているくらいだから。

 

 

太郎くん:上記の資料④とこの絵図①を関連させ整理してみると、この普請工事が嘉永6年(1853)11月に終わり、翌年の6月14日讃岐地方に地震が発生、7月5日堤防の漏水を発見し、7月9日に決壊した、ということになるよ。

花子さん:資料①にも書いてあるけど、底樋の石を2年かけ丹誠を込めて築いたものが、一瞬に壊れ流されてしまったのね。本当に残念でならないし、とてもつらかったと思うわ。

太郎くん:でも、僕も田中健二氏が言うように、長谷川喜平次が底樋を木樋から石碑に替えることを主導したわけであり、確かに普請工事のまずさに原因があるかもしれないけど、彼の提案は石の水道の先駆けであったことを強調したいね。

花子さん:決壊したときの、底樋の石材が発見され、現在「かりん会館」の玄関入口前の所に“歴史の証人”として展示されているわね。(下の写真①、②)

 

 

筆者:参考までに、嘉永7年、安政元年は、伊賀上野地震(旧暦6月15日/新暦7月9日:M7.4)、安政南海地震(旧暦11月5日/新暦12月24日:M8.4)が起きている年です。今年は、この地震から約170年経つようです。

現在県内の届け出対象となるため池は、14,614カ所あるそうです。そのうち、民間所有のものが6,312カ所、豪雨によるため池決壊の可能性があるため、防災上安全管理(貯水量や堤防の高さなどの報告、自己管理等)の必要性が問われているようです。 (令和2年(2020)7月5日付『四国新聞』より引用)

また、ため池の存在意義について、次のようなTV番組がありました。ため池があるから、そして池には一人ひとりの池管理(水を溢れないように適宜抜き、堤体が崩れないように草刈りをするなど)者がいるからこそ、下流地域の人が安心して暮らせるということに感謝しなくてはならない。(NHK「ゆう6かがわ」『ため池災害への備え』令和2年11月16日放映より)

 

香川県はため池が多いことでも知られていますが、歴史に学ぶことは本当にたくさんありますね。

片岡さん、貴重なお話をありがとうございました。

 

町立図書館では、講師の片岡さんが挿絵を描かれた、満濃池の龍神伝説の紙芝居を展示しております。

 

満濃池の伝説を、味わい深い絵とともにお楽しみください。

全文は、第5回 ブログ版 郷土史講座でご覧になれます。

 

 

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笑顔がBookBookハートウィーク♡

一説によると、バレンタインデーの起源は古く、古代ローマ時代にまでさかのぼるのだとか。

すべての神々の女王であり、家庭と結婚の神でもある、女神ユーノの祝日が始まりだという説が一般的なんだそうです。

ローマ皇帝の命令に逆らい、結婚が禁止されていた兵士のために、内緒で結婚式を挙げさせていたキリスト教の司教・ヴァレンティヌスが処刑された日が、2月14日だったことから、聖バレンタインデーは、恋人や夫婦など、愛し合う二人を祝う日になったそうです。

日本ではチョコレートを渡して告白する日、というのが長年の習わしでしたが、近年では、「義理チョコ」だけでなく、「友チョコ」や「自分チョコ」など、純粋においしいチョコレートを楽しむ人も増えているようですね。

放課後に、門のところで大好きな先輩を待ち伏せしてチョコを渡した…なんて甘い思い出も遥か遠い記憶となってしまったワタクシでございます(笑)

さてさて、かりまいちゃんはどんなバレンタインデーを過ごしているのでしょうか?

動画でお楽しみください。

↓↓↓↓↓↓

町立図書館では、バレンタインデーからホワイトデーまでの期間、

『ハートウィーク』を開催中です。

大切に誰かに贈りたくなるような本や、恋愛小説など、愛と笑顔であふれる展示をしていますので、是非ご覧になってください。

 

 

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ワンコの名前総選挙!!

日頃から、まんのう町立図書館をご利用くだっている皆さま、そしてブログをご覧になってくださっている皆さま。

ご存知でしょうか?

当館には、「かりまいちゃん」というマスコット・キャラクターとともに、もう一匹、愛すべきキャラクターが存在することを。

 

実はこのワンコ、名前がないのです。

かりまいちゃんのお友だちで、館内の展示や掲示物などでもお馴染みのはずなのに、ずっと名前がなかったのです (涙)

そこで今回、町立図書館を利用してくださっている皆さまに、ワンコの名前をつけいただきたく、「総選挙」なるものを開催することになりました。

 

図書館ロビーにおきまして、5つの名前の中から、気に入ったもの、またはお好きなものを選び、投票していただきます。

 

 

どの名前も、本や図書館、まんのう町に由来する言葉からとったもので、どれが選ばれても、きっと親しみやすく、愛着のある名前になると思います。

 

 

名前ごとに色が違いますので、選んだ名前の色紙を箱に入れてくださいね。

投票期間は、3月14日㈰ 午後6時まで

是非、皆さんでワンコに名前をつけてください。

 

 

 

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💕ハートウィーク開幕💕

このまま春に向かってまっしぐら? と思えるような、ポカポカ陽気が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

町立図書館では、昨年に引き続き、今年も始まりました。

ハートウィーク💗

3月14日㈰までの期間、図書館は愛と笑顔とハートでいっぱいですよ!!!

チョコレートに関する本だけでなく、大切な人に贈りたくなるような本や、甘くロマンチックな物語など、バレンタインデーやホワイトデーにぴったりな本を多数展示しています。

ラブレターの書き方の参考になるような本もありますよ (^_-)-☆

 

今年のハートウィークのテーマは「笑顔」です。

皆さんの、大切な人や大好きな人の笑っている顔を絵にして、図書館までお持ちください。

書いていただいた絵は、図書館に飾らせていただきます。

専用用紙は館内、または下記よりダウンロードもできます。

↓↓↓↓↓

笑顔の絵をかいてね

 

たくさんの「笑顔」をお待ちしています。

図書館を笑顔でいっぱいにしましょう!!

 

 

 

 

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124年ぶりの時間のズレ⌚

 

1月は往ぬる、2月は逃げる…などと言いますが、

あっという間に1月が終わり、2月になりましたね。

2月は、「如月(きさらぎ)」とも言いますが、これはまだ寒さが残り、衣を重ね着しなければならない季節、という意味もあるそうです。美しい言葉ですね (*^^*)

2月の年中行事と言えば「節分」ですが、今年の節分はいつもとちょっと違うんです。

何が違うかと言えば、今年の節分は2月2日なんです。

「節分」とは、もともと「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日で、季節を分ける日のことだったのですが、現在では立春の前日だけが残っているそうです。

1年を「二十四節季」で運用すると、少しずつ時間に誤差が生じてきます。

…ちょっと難しくなってきましたね (*_*;

その時間のズレによって、いつもの年より1日早く立春を迎える今年は、その前日である節分も、1日早くなるというわけです。

これは実に124年ぶりのことで、前回2月2日が節分になったのは、1897(明治30)年だったそうです。

ちなみに、37年前の1984(昭和59)年には、2月4日が節分だったそうです。

詳しくは、国立天文台のサイトにも書いてあるので、ご興味のある方はのぞいてみてください。

天体と時間の不思議…。

難しいですが、少しロマンチックでもありますね。

ちなみ、恵方巻を食べる方角は、「南南東」だそうです。

町立図書館にも、年中行儀や暦に関する本がたくさんありますので、是非お立ち寄りください。

 

季節の変わり目に、鬼の顔をしてこっそり入り込んで来ようとする悪霊や疫病を、豆まきで退散しましょう!!

「鬼は外、福は内!」

 

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みんなの笑顔 大募集 (*^^*)

今年もまだ始まったばかり、とのんびり構えていたら、あっという間に1月も終わりに近づいてきましたね。

まだまだ寒さも厳しい季節ですが、図書館ではそんな寒さを吹き飛ばすような、暖かくて笑顔あふれるイベントが始まりますよ (^_-)-☆

昨年に引き続き、今年も開催いたします!

💕ハートウィーク💕

期間は、2月14日㈰~3月14日㈰

バレンタインデーからホワイトデーまでの4週間、

町立図書館は、ハートと笑顔でいっぱいになりますよ ♪

今年のテーマは「笑顔」です。

この一年、マスクの陰に隠れて、身近にいる人の笑顔を見る機会も減ってしまいました。

でも、笑った顔は誰でもステキ ♡

笑顔で気持ちが前向きになったり、幸せな気分になれるのも、世界共通ですよね。

 

そこで、みなさんの大切な人や、大好きな人が笑っている顔を大募集します!!

図書館にある専用用紙に、大好きな人の笑っている似顔絵を描いて、図書館までお持ちください。

みなさんが描いてくれた「笑顔」は、図書館に展示させていただきます。

図書館を、笑顔とハッピーでいっぱいにしましょう!!

 

専用の用紙は館内、または下記よりダウンロードすることもできます。

↓↓↓↓↓↓

笑顔の絵をかいてね

 

たくさんのご参加お待ちしています !(^^)!

 

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今月のおはなし会📖

雪の結晶は、英語で「スノークリスタル」と言うそうですが、言葉の響きがとてもキレイですね。

寒くてついつい暖かい部屋で縮こまってしまう季節ですが、冬だけの特別な景色や食べ物、行事など、楽しいこともたくさんありますよね。

おはなしの世界では、雪や手袋などの身近なものも、楽しくてワクワクする特別な時間に変えてくれます。

今月も町立図書館では、楽しいおはなし会を開催しましたよ。

 

1月5日㈮は、恒例の「あかちゃんタイム」です。

ママと一緒に手遊びで体を動かすと、不思議だね。

楽しくて笑顔になっちゃう! 声も出ちゃうね (^_-)-☆

「あかちゃんタイム」は、小さなお子さんたちの時間です。声を上げても泣いちゃっても大丈夫ですので、気兼ねなくお越しくださいね。

絵本選びなどの読書相談も受けておりますので、小さなお子さん連れの方は、是非「あかちゃんタイム」ご活用ください。

 

1月10日㈰は、「すまいりぃ」による ‟絵本とあそぼう” です。

とても寒い日でしたが、ちびっ子たちは元気いっぱい!

本のページがめくられるたびに、目がキラキラと輝いていました。

動物のおはなしは、みんな大好き!!

おはなしの中に自分も入って行きそうなくらい、夢中になっている子もいました。

ご参加下さった皆さま、ありがとうございました。

 

新型コロナウィルスの感染状況もまだまだ気が抜けませんが、おはなし会では定員を設け、マスクや消毒、そして十分な距離を保つなど、感染症対策を実施したうえでの開催になっております。

では、来月もお楽しみに ♪

 

📖2月のおはなし会スケジュール📖

2/5  ㈮  午前10:30~ 「あかちゃんタイム」

2/14㈰  午前11:00~ 「すまいりぃ」おはなし会

2/20㈯  午後 3 :00~ 「さぬき語りの会」おはなし会

 

ご来館をお待ちしています。

 

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ブログ版「農業講座」特別版「かりまいちゃんの課外授業」

寒い日が続いていますが、みなさま、風邪などひいていませんか?

比較的気候が穏やかな香川県ですが、まんのう町は山間部も多いので、霜や雪には注意しないといけませんね。

ブログ担当のワタクシも、数年前に雪解け道で怖い思いをしたので、毎日天気予報をチェックしながら、雪にならないことを祈っている次第です。

 

さてさて本日は、ブログ版農業講座の 「特別版」をお送りいたします。

当講座の講師である豊嶋和人さんの畑に、町立図書館のマスコット・キャラクター「かりまいちゃん」がおじゃまし、季節のお野菜について色々と教えて頂きました。

その模様を、動画でお楽しみください ♪

 

↓↓↓↓↓↓  (動画の閲覧はこちらから)

 

豊嶋さん、

小雨降る寒い中、お時間を作って頂き、本当にありがとうございました。

 

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第6回 ブログ版 郷土史講座「満濃池シリーズ5」

松の内も明け、学校もお仕事も通常モードに戻った方が多いかと思いますが、町立図書館も寒さやコロナに負けず、様々な展示やイベントを始動させていますよ。

昨年、ブログ版として新連載を始めた「郷土史講座」では、今年も引き続き、地域の知られざる歴史を楽しく学んでいただけます。

講師は、もうすっかりお馴染みですよね (^_-)-☆

片岡孝暢さんです。

第6回ブログ版 「郷土史講座」 ~満濃池シリ-ズ5~

<廃池による池内村と西嶋八兵衛の再興>

今回は、4回目の疑問点を太郎くんと花子さんが探究した学習の成果を報告します。

 

花子さん:平安末期の元暦元年(1184)、満濃池が決壊したらしいけど、その後復旧は行われず、池地は荒廃したままだったのね。

太郎君:そのようだね。満濃池が決壊したときは、源平合戦が行われていた頃だね。その後の状態を表わした絵図①があるよ。この絵図は嘉永年間のものだそうだよ。

 

花子さん:なるほど。嘉永年間というのは、1624年~1645年だから、この時点までこの状態で放置されていたということなのね。

花子さん:池内に金倉川の川筋が見えるわ。また、図に向かって中央の池の宮がある小山の右側に流れている川は、空海が作ったといわれる余水吐かな?それから、大小様々な岩石がころがっているけど、堤に使われていたのかしら?

太郎くん:そのようだね。この堤あたりの地層は岩石(花崗岩)だったようだ。また、池地には民家や農地、あぜ道などが描かれているよ。長きにわたっての農地を耕作し生活していた様子がうかがえるね。それから、右の山上にも家が3軒あり、そのうち手前の1軒は屋根が立派だね。矢原家と何か関係があるのかな?また、山々にはたぶん松の木だと思うけど、たくさん植えられているね。堤や「ゆる」の修繕に使ったのかもしれないね。現在も、満濃池の周囲の山々には松が多く植生しているよ。

花子さん:図上のところに、記録の文章みたいなものがあるわね。

太郎くん:西嶋八兵衛による池再築の着工から完成までの工程や、矢原氏との交渉過程の事が書かれているらしいよ。

花子さん:ところで、池地はだれの所有地だったの?社会科の授業で寄進地系荘園というのを習ったけど、これと関係しているの?

太郎くん:万乃池を領有していた開発領主は矢原氏で、国司からの税等から逃れるために、中央の権力者(上皇)に寄進したようだね。

嘉元4年(1306)、「昭慶門院御領目録案」(昭慶門院とは亀山上皇の皇女:熹子内親王の女院号)の讃岐条に、「萬乃池 秦久勝」とある。たぶん、秦氏が知行人だとすると、矢原氏との領地における力関係が疑問だね。その150年後の長禄2年(1458)、満濃池は加茂別雷神社の社領となっているようだ。 (『満濃池名勝調査報告書』、『満濃池史』を参照)

花子さん:西嶋八兵衛さんはどうして、満濃池を再築することになったの?

太郎くん:生駒藩政の時代、新田開発が進められる一方、干ばつも相次ぎ、雨が少ない讃岐では池築造(水の確保)が必須だったと思うよ。

太郎くん:4代藩主の生駒高俊のとき、彼はまだ11歳だったので、外祖父の藤堂高虎が後見人として藩政を執り、家臣の西嶋八兵衛が伊勢津藩(三重県)より呼ばれた。彼は数年間で90余のため池の築造や増築、香東川の治水工事にも成功をおさめているらしいよ。とにかく、彼は水利、土木技術、築城の設計などに優れていたようだね。

花子さん:西嶋八兵衛さんが、満濃池の再築をした時は、池内地はだれの領地だったの?

太郎くん:矢原氏の領地だったようだね。前記の「満濃池営築図」の左下末尾の附記や、西嶋八兵衛が矢原正直(又右衛門)に出した書状から、寛永3年(1626)8月、奉行の西嶋八兵衛が矢原正直方へ来て、那珂郡の毎年の旱害について懇談がなされ、正直は西嶋の企てを聞いて賛同し、池内に所持している田畑25町余歩を残らず差し出す旨を申し出たそうだ。そして、潔く立ち退き、20余りの池内村の人々もこれに従ったようだ。(藤田勝重『西嶋八兵衛と栗林公園』を参照)

太郎くん:「矢原家系図」によると、西嶋八兵衛は満濃池地を詳しく調査し、池地の豪族矢原又左衛門正直と夜を徹して話し合い、池敷の提供を受け、修築の協力を得ただけでなく、矢原家に伝承されていた空海修築の記録や伝承を見せてもらい、それを検討して再築の計画を立てることができた、そうだよ。(『讃岐のため池誌』を参照)

太郎くん:これらからすると、満濃池は加茂別雷神社の社領となった後、矢原氏が領有していることになる。たぶん、讃岐国の領主となった仙石秀久のときに、知行地として賜ったのではないだろうか?

花子さん:矢原氏は公共の利益の事を考え、自らの領地を寄付するなんて立派な方ね。でも、池内村の人々は立ち退き、どこへ移ったの?

太郎くん:矢原正直は、満濃の池守に任命されるにあたって、満濃池上下において50石を与えられているようだよ。(下記資料①/生駒家家老西嶋八兵衛、淺田右京、高俊の命を奉じ、矢原又右衛門に満濃池上下五拾石を宛行う:出典中の解説より引用)

 資料① 寛永12年(1635)4月3日 生駒家家老蓮著奉書 矢原家文書

(『新編香川叢書 史料篇(二)』香川県教育員会 1981より抜粋。尚、資料中の(正直)は筆者が記入。)

 

花子さん:そしたら、その池下の50石の地に、池内村の人々を移したのかな?

太郎くん:僕もそう思うよ。「樋外(ひのわき)50石」の水利特権を認められた地域が池下、池尻にあると聞いたことがあるよ。大貝股、平林股、桶樋股(おけどいまた)らしい。下記の写真①が、その地域のあたりだよ。

太郎くん:そして、移住の代償として無条件で常時配水が受けられるという特別の水利権が与えられたらしいよ。また、池内村時代にこの地域の人々は、池地の天真名井の水を桶樋で引水して耕作していたので与えられた特権であるという説や、この地域が高松藩の種もみ採集地域であったからという言い伝えもあるらしいよ。(『新修満濃町誌』、『満濃池史』を引用)

花子さん:でも、下の写真②のように、この三地域の水田は、金倉川より高い所にあるのに、どうやって水田に水を入れているの?

太郎くん:僕も最初疑問だったけど、水門の所に行ってみてやっとわかったよ。実は、下の写真③のように、水の出口の所(ほたる見公園内)で、金倉川とは別に3つの方向に分水しているようだね。

花子さん:なるほどね。いろいろ工夫されているのね。

 

一つの「池」にまつわる話が、回を重ねるごとにどんどん枝葉を広げ、歴史の一ページを彩っていくようですね。

歴史ロマンの旅に終わりはないですね。

片岡さん、ありがとうございました。

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